昭和49年7月18日 朝の御理解

御理解第100節 「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというのではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ」



 今、合楽で言われておる、合楽を銘々の心の中に、又は、家庭に現そう。ということ。今朝方私、お夢を頂いて、●(今朝も?)又、あのお風呂の、に入ったら(いい?)。それが松の湯というふうに(入っておる?)
 それがなら見知らん方ばっかりなんですけれどもね、そこのお隣のご主人というのが、お風呂からあがって、今日はなら合楽の先生がみえとるから、あの、座談会のような形式でお話をして頂こうと思いますから、皆さんもホールに集まってくださいという。
 皆さんお風呂に入って機嫌ようしてなさる時ですから、んー、というのが、あのその、そこの主人の願いらしいんです。
 ね、お風呂へ入って、それこそ垢を落とし、すっきりとした。そのところの状態で、これから有り難いお話を頂くと。私はちょ、私もお風呂入っとったら、あんた、そう(  ?  )私も突然の事で、私がですかというてその、ん、言いながらもお話をしようと思うておった。
 そして、この頃、松栄会がここでもたれました時に、私がお話をいたしました話を、させて頂こうと思うておるところでございます。
 ね、私は、「めでためでたの若松様よ」というその、そういう例えば合楽を自分の心に、自分の家庭に現すという事は、このおめでとうございます、おめでとうござます、というような心なんです。
 しかもそれが、あの、子孫繁盛、家繁盛に繋がっていく。その、ね、おめでとうございます、おめでとうございますが、いわゆる子供にも、孫にも伝わっていくというほどしの、これはみ教え。
 最後に松栄会の終わった後に私が、あ、総締めくくりにということでしたから、お話をさせて頂いたのが、その日の研修テーマが、御理解第一節の「今天地の開ける音を聞いて目を覚ませ」という、御理解に基づいてでございました。
 皆さん大変よいお話が出ました。けれどもまぁ、私がお話をした、大体内容を、その私がお夢の中で、松の湯の大きなホールで、皆さんにいっぱい集まっておられるところで、お話を、こういうお話をしようと思うておる、むしろ聞いて頂こうとこう思う。この頃、松栄会の時にお話をした話の、まぁあらましを聞いてもらうかね。
 私は申しました。御理解第一節と、御理解第百節というものは繋がってるんです。今天地の開ける音を聞いて目を覚ますほどしのおかげを頂いたら、そこから信心が進められたら、今合楽で言われておるところの、真善美の足ろうた、おかげが頂けてくるようになるのであり、めでためでたの若松様よ、といったような有り難い事になってくるのであり、金光大神は子孫繁盛家繁盛と、こう子孫繁盛の方を先に言うておられるということは、ね、今繁盛しておるというだけで、じゃなくて、(  ?  )繁盛のおかげを頂いて、それが子孫繁盛に繋がるほどしの道を、金光大神は教えるのじゃと仰る。
 だから、本然としてです、今天地の開ける音を聞いて目を覚ますほどしの心の状態から、次のみ教えに、といって、御理解百節のようなおかげを頂かせてもらうのですから、御理解第一節と、御理解百節は、繋がっておる。
 今合楽でおかげを頂いておる、いうならば、はー、この合楽への、おー、まぁ雰囲気こそ、まぁ合楽の世界であろう、極楽の世界であろうと皆が言うておる事実を話しを、色々、事実と言えば、そういう色々お話させて頂いた。
 甘木の親先生が、ある方からお導きを受けられた。小倉に、それは大変な新たかな。もうそれこそ、日を切り、時間を切っておかげをやりなさる、というような神様が出来らっしゃったそうなんです。大変なお参りだそうです。
 だから、私も、ぜひお参りをして見たいと思うから、安武さんあんたもどうか、という誘いを受けられた。そういう神様が大体本当にござるだろうか。日にち、日にちを切り、時間切ってお願いをして、それが助かるというような、そういう神様なら、なら自分も一つ参ってみようと思われた。
 ところが、その前日、足にこう釘を踏んでおられたのが、化膿しだして、もうその晩、明日お参りをしようという、前の晩には足が踏んづけられないほどしに、痛んで化膿した。そこで安武先生。その小倉の、いわゆる神様へ向かって、ご自分の家からご祈念をされた。
 私は明日、ね、あんたのところへお引き寄せを頂きたい、お参りをしたいと思います。ね、本当は私が、足がこのように、足が踏んづけられないような状態ですから、ね、どうか私の一生を本当に助けてくださるほどしの神様なら、験を(  ?  )。
 ね、この足の難儀を、いうなら明日は、小倉まで歩いて参れるような、一つ験を見せてくれという願いを立てられたという事ですね。
 ところが明くる朝、はようその、からまぁ行かれる準備をちゃんとしておられたところが、明くる日は、その( ? )痛みも、化膿もとれてしまっとる。こうこうと踏んづけてみても痛くない。大変な神様だと、感じられて参られたちゅうことですね。
 そして、お話を頂いてから、又たまがられた。ん、天のご恩とか、天の話は有り難いものて、ずいぶん色んな宗教のお話を聞いてきたけれども、地のご恩徳を説かれる神様ちゅうものはもう初めて聞いた。
 例えば( ? )一通り聞き終わってから、入れて言われたけれども、私はとにかくもうしばらくお話を頂いていこうというて一日、座りこんで桂先生のお話を頂かれたという事です。
 そして、その時の事を、述懐してお話になっておるのが、有名な、ね、それこそ足元から鳥が飛び立つような思いであった、といっておられます。天地の親神様のご恩徳を聞かせてもろうて、特に大地のご恩徳を聞かせて頂いた時にはです、足元からね、鳥が飛び立つような思いであったといっておられます。天地の親神様のご恩徳を聞かせてもらう。特に、大地のご恩徳を聞かせて頂いた時にはです、足元から、ね、鳥が飛び立つような思いという事は、足元から鳥が飛び立つほどしにビックリしたといっておられます。ね、ここにね、甘木の親先生の、今天地の開ける音を聞いて目を覚まされたんです。
 そこから、あの、いうなら、当時日本一と言われるような体得が生まれ。甘木いっぺん(ぞく?)といわれ。( ? )といわれるような、御比礼を頂かれた。ん。
 一にも天地のご恩徳。二にも天地のご恩徳を身に受けて明かされた。ん。久留米の初代もやはり同じ事。お母さんのお病気で、もう助かられんというような病気(  ?  )られた時に、なんとか、命が助けてもらいたい、助けて頂く神様がと思うておるところに、福岡の教会にお導きを頂いておられる。
 そして、そのあまりものおかげの素晴らしさに驚いてしもうて、いよいよ信心を熱心にされるようになり、そして、学院、いわゆるお道の教師を志される事にまでなってきた。ご本部で、ご修行なさっておられる時に、二代金光様、四神様が、石橋さんというて、お広前(すみやか?)に奉仕をしておられる石橋先生を呼ばれた。
 そして、石橋先生にお話になられた四神様のお言葉はです、「石橋さん、信心辛抱さえしておれば、物事整わんという事はないぞ」と教えられた。もうこれが、石橋先生の、いうならば信心のかけ守りであった。
 ね、信心辛抱さえしておれ、ただ辛抱しておればではないんです。信心を辛抱さえしておれば、物事整わん事はないぞ、と言われたから、それを先生の信心のいわば芯ともされて、もうそれこそ大変な色々な問題もありましたでしょう。ね。
 ある時に小倉の、ご大祭の後に、ご直会がを、の席で、桂先生が、石橋先生に向かって、「あんたんところの息子は、馬鹿じゃの」ち言っていわっしゃったげな。二代の「光男?」先生という方は、小さい時に高いところから落ちて頭を打っておられる。そりゃ確かにその、そういうところがあった。御結界を奉仕されたり、又はご祈念をなさる時なんかはそりゃもう、凄まじいご祈念でした。
 私共は「光男?」先生のおかげで、おかげを頂いて、頂きよりましたがです、やっぱり御結界を下がられると、ちょっとおかしいところがありました。それを指摘して、桂先生が仰った。あんたんところの息子は馬鹿じゃのち。
 その時に、それこそ間髪を入れずに、親先生って、おかげで信心が出来ますって(感動され)。石橋さんでかした。というて、(   ?   )たというお話が残っております。
 というほどしに、信心辛抱の信心なさっておられるうちにです、真に神愛を本然として悟っておられるです。こんに、こんな、もう教会なんかをしておると、こう「光男?」がこんなんな状態じゃどんこんされんというものじゃなくて、そのおかげで自分の信心が出来ると悟っておられる。
 ね、そして、信心辛抱と、私は、この後から、なら多かったから申しました事ですけれども、最近もう口を開けば、初代の信心を頂くとか、というようなテーマで何時もお話があっておりますが、石橋先生の信心を頂くという事は、なら信心辛抱だと。もう辛抱にならない。信心辛抱の徳を受ける。ん、もう普通でなら辛抱しなければならにところを、辛抱せんですむほどしのおかげを、そういうようなものを私は頂いておられた、と思うというて、その時に話した事でした。
 もう辛抱じゃない。もう神愛と悟っておられるかた辛抱せんでもよい。ね、おかげと悟っておられるから、いうならば天地の開ける音を聞いての目が覚めておられるから、あの体得を受けられた。
 それでね、お互いが、ただおかげをおかげという、信心ではなくて、いうならば、本気で信心を頂こうと、昨日は合楽会でした。もう本当に、えー、有り難い雰囲気の中に終わらせて頂いて、皆さんが十一時すぎましたから、帰る。ましたから私も、そこまで送っていきよりましたら、その廊下で久保山さんが、あそこへ立ち止まってから、親先生今日は本当におかげでからこの御理解、このみ教えを頂いてから、(あのみえるでしょう?)。本当におかげを頂きました。
 丁度、あのご祈念の後に、兄弟の方3人、それから姪御さんを一人、四人連れで、お導きをして参って見えました。その姪御、姪御さんというのがもう、ある人間関係で、まぁ大変な悩みを持って、もうあの久富繁雄さんのところの、あの、息子になる、ね、国雄さんの嫁の姉さんにあたります。
 その方が参って来て、この人はどう、どうしてこげな本当に沈んだ顔してあるだろうか、ちゅうごたる沈んだ顔しちゃった。もう(  ?  )話ば聞けば聞くほどなるほどくっとするだろうというような状態だった。
 ところが、あの姪がですね、あの、後で、昨日の朝の御理解を頂いてね、もう本当にこげな話初めて聞いたというて喜んだ。そして、(  ?  )しとるけれども、心が弾んだ。心が有り難とうなってきとる。そして、改めてあの( ? )を見た時にです、昨日の、一昨日の御理解にですね、慢心が大怪我の元なりというみ教えに、これが本当だと思い込む心が、慢心じゃと。
 ね、本当の、本当を求める姿勢が、肝要でありますと。慢心があると、広さはできても、深さがなくなります。自分を掘り下げることをしないからです、というここんところを頂くんです。
 その自分を掘り下げようとしないからです、というところが、それこそ、もうそれこそ天地が開けたような思いで、はーおばしゃま、ここというて言われたそうです。それで帰りがけに、また改めてそこの立ち話で共励を、もう立ちながらでしたけれどね。
 もう本当にもうその、ここんところ。自分自身、ただ主人が悪いの、誰が悪いのとばっかり思うておったけれども、自分を掘り下げようともしてなかった、自分を見ようともしてなかった。ここに、ここに(?)いうてその、喜ばれて、もう帰りには来た時と帰る時にはもう、それこそ2人見るような表情で帰りましたという話を、もう廊下で帰りがけ立ち話。
 ね、私はそういう、ある意味で、ね、心に、の天地の開ける音を聞いて目を覚ました姿だと思うんです。これからどうでも、私のお参りさせて頂くけん、おばしゃんちょっと参ってくれというて、くれぐれその事を頼んで帰られたという事です。
 ね、本当に例えばです、どうぞ、主人がおかげ頂きますように、誰がおかげ頂きますようにじゃない( ? )のではなくて、本然として、昨日の御理解を、朝の御理解を頂いて感動しておる。その感動に繋がるところの、本然(?)ね。
 自分を掘り下げようとしないというところを、に、で、それこそ天地の開ける音を聞いた。目が覚めた。表情が変わった。ね、ここのところに焦点をおいて、自分を掘り下げることに、自分を見極める事に、焦点をおかれて信心をされるならばです、もう絶対御理解100節に繋がるです。
 いわゆる、子孫繁盛家繁盛。いうなら、(  ?  )を毎日毎日が、その( ? )でございます。いわにゃおられないほどしのです、いうならば、自分の心の中に合楽を開く事が出来るのであり、自分の家庭に合楽を現す事が出来る、という事なんです。
 私は今日のこの、「めでためでたの若松よ」というところをです、ね、合楽( ? )という風に、今日は感じます。
 ん、そういう、例えば、(ムード?)がです、ね、いよいよ、枝だも栄える葉も茂るという、繁盛にもなり、しかもそれが、子孫繁盛に繋がれるほどしのおかげ。結局信心の眼を開かなければダメだという事。ただおかげを頂いて有り難いというものじゃダメだと。繁盛には繋がろうけれどもです、いや子孫繁盛には繋がらないということ。
 そこでです、私が今朝からお夢を頂いたように、本当に信心を求めてというならばです、今の合楽はもう極楽です。ね。それこそ、心には松の湯といたしませんか。皆さんは松の湯に入って、はー、改まったり、磨くことのお話を頂くとしましょうか。ね、一生懸命ご祈念をした後にです、いうならば、私がお夢の中でお話をしておるようにです、ね、今天地の開ける音を聞いて目を覚ませ、そしてそれを御理解第百節の、子孫繁盛家繁盛に繋がるんだという、有り難いお話を(松、松?)繰り返しお話をさせて頂いたが、そのお話をそのまま、私が、その松の湯で、全然知らない方ばっかりですけれども、その方達に、金光様の信心すればこういうおかげが受けられるという、いわばなら宣伝にもなるお話をさせて頂いておるわけです。ん。
 これもその、久保山さんの、お姉さんに当たります方が毎日参って来て、( ? )は見えておりませんでした。娘さんが(毎日?)行かれるところの、学校に孫さんが、不思議なです、昼は何とか学校に行って、遊びよるけれども、夜になると、もう頭がね、もう割れるごと痛くなるち。晩、全然見せない。
 それでも学校に行くから、もういよいよ(しょうすい?)していくから、お母さんに話した。そんなら今日から私が、あの、合楽の金光様毎日お参りしよっけんで、この御神米ば頂きなさい。そして私が今日からお届をするけんでというて、えー、昨日一昨日、お届けをされた。
 昨日の朝のご祈念に参ってみえてからのお礼ですけれども、もう不思議に( ? )にその頭の割れるような痛さが、その日からなくなったち。まぁ新たかなこっちゃあるなっちうてからその、まぁ申します。申しております、又申しましたというて、お届けがあったです。
 昨日、合楽支部での中野さんがです、もう本当に悲しいことを聞きました。というのは、ある人が見えてから、あんたも合楽、金光様金光様とばっかり参りよるばってんから、金光様のあんた病気付けたり受けたり( ? )。あんた前んごつ病気つけられるばい、というてその、まぁ忠告に来てくれたち。まぁ私はそれを聞いて悲しかったとこういうのです。
 例えば本当に病気を付けたりも消したり出来るごたる力が、素晴らしいですね。けれどもね、今の合楽で言われておる事は、第一病気のない世界。争いのない世界。貧乏のない世界を現そうというておるほどしじゃないか。
 なら合楽に五年も、例えばお参りをした人ならばです、ね、もう家に薬箱すらがなくなっておるという事実があるではないか。毎年毎年薬(代こう?)払いよったのが、合楽に御神縁を頂いたその年から、薬代を払わんで済むようなおかげを頂いておるという事実があるではないか。
 もうそれはね、( ? )健康とする時には、そういう、いうなら傷害もやっぱあるということです。(?)ですね。中野さんもそれを聞いて悲しかったと。本当に勿体無いことを、いう人が、どういうところから、それがあの久保山さんのそのお話じゃないけれども、ね、それこそ、不思議な不思議な頭がガンガンいうごたる、そのまでの晩に眠られないような、それがお取次ぎを頂いたその晩から、眠られるようになったというような。ね。
 いうならば、癌が治ったんです。ね、もうそれこそ、五日しかもてないと言われておる、あのくまがえさんのところのお孫さんです、ね、(  ?  )の白血病でもう五日しかないと。お医者さんですよ。だから自分ところ出来んから、( ? )に入院して、まぁあらゆる手を尽くしたけれども、もう五日しかもてない。だから遠方のある親戚の皆、あ、見えてここに参って見えたが、その、お見舞いにいかれるほどしのおかげを受けて。
 それが、お神様を、( ? )お参りした。お奉りした。ね、それから、もうとにかくあの、( ? )でやっとかっと出て、おばあちゃまがいう事が分かるね、と言うたら分かるとこう合点するようなから。ね、祈りきっ、あのお話してもいいねっちゅうたら、こうするから、お話をさせ( ? )あ、きつうなったら、ならこう合図せんの、というてその、もう一生懸命お話させて頂いた。
 明くる日からその( ? )がとれた。段々おかげを頂くようになって、もうそれこそ一日一日が、今日もおかげで生きておった。もう五日といわれたが、もう六日になった、七日になった。おかげで十日も十九日にもなった。
 まだ死なんというので、そのおかげを頂くような、頃から( ? )だした。その白血病に血が見えて来だしたです。
 もう昨日、お見舞いに行かれた時なんか、昨日一昨日、昨日くまがえさんのお話を聞くと。もう健康の時のような状態でお話を致しますというておられる。ね、そういう、いうならば、新たかなおかげを頂いて現しております。だから、反面で私が、合楽の金光様ちゃその病気を付けたりおてたりさっしゃるというような、いうなら、まぁ評判づいておるような事すらが、あるほどしに、ごひれいを受けておるという事になります。
 ね、ですから、もう皆さんとてもです、やはりいうならめでためでたの若松様よというような、おかげを頂く為には、まず家の中に病人がおってから、めでたいという訳にはいかんのです。
 ね、あれば買いたいけれども、お金がないでは、そういう貧乏しとったっちゃ出来んのです。ね、(  ?  )いいよるように、家庭の中が円満でなかったら、めでたいという事にならんのです。
 それにはね、まず信心の眼を開くという事。今天地の開ける音を聞いて、本当に目を覚まさせて頂く機会というものをです、それには甘木の親先生じゃないけれどもです、ね、感動があったんです。感動が。
 ね、あれが、例えばその、足の怪我がです、ね、の時に、ね、神様の、私が一生おすがりしても、幸せになることのための神様ならば、この手本を見せて下さい。私のこの足を、明日お参りが出来るように、お願いを、をされたというところです。
 ところがそれが、明くる日は、足を踏んづけられるようなおかげを頂かれる時に、もう感動が始まっとったんです。その感動で、天地の御恩徳を聞かれたわけです。だから、もうそれこそ足元から、鳥が飛び立つほどしの思いで、それこそビックリするような思いで、話を聞かれた。
 ( ? )昨日の久保山さんのところの姪御さんも、それである。それこそここにこうやった時には、( ? )それけん自殺かなんかでもするとじゃなかじゃろうかというごと、もう(  ?  )状態でした。
 それはお話を聞いて、なに、初めて聞くお話に、いわば感動が湧いた。その感動で、帰りの、その廊下に掲示してある所の、あの短い御理解の一番最後のところを聞かせて頂いて、おまちゃばこれじゃったち。ね。
 主人が悪いとばっかり思いよったけれどもです、自分というものを見極める、自分を掘り下げる事をしなかったという事が、こういう難儀になったんだということを、もうそれこそ、ね、手のひらをかえすように、顔色が、外色が変わった。もう帰りには、されこそ生き生きとして帰っ、として、またどうでもお参りをさせて頂きたいから、おばちゃま連れて参ってくれというて、願って帰られたという事です。
 ね、そしていうならば、どうぞ主人がおかげを頂きますようにではなくてです、本然として、なら自分をいよいよ見極めることの、いうならば信心をね、土台にして、自分を見極めて行くという信心になられるならばです、もうその御理解第一節は、御理解この百節に繋がらないはずが絶対ないでしょう。
 それこそ、ね、主人のおかげ頂く、だけじゃなくて、経済の上にも、ね、健康の上にも、争いのない世界に住む家庭を作る事ができるでしょう。それはまた、周囲にも宣伝していけれるほどしの内容も頂けれるでしょう。
 ね、そういう例えばおかげを頂いて、ね、それも、例えば風呂から上がった後の清々しさというかね、もうそれこそ、あーた極楽、極楽と風呂の中でいうた、その後に頂くみ教えを、私は皆さんがこうやって聞いて頂いておるんだと思うです。
 いうならば、朝の五時のご祈念に、ご祈念をされた、され、終わった時にが、そこから(上がられた?)ところじゃないでしょうか。そして、又こうやって、(  ?  )というようにです、ね、話を聞いて下さるという事は、そういうもう本当に、清々しい垢の落ちが心です、こうしてご理解を受けられるのですから、その御理解をだたここだけで、くぶくらうんじゃない。ここだけが合楽じゃない。それを家に持って帰って、家で現していくところのおかげを頂いてもらわにゃならんとおもうですね。どうぞ。

梶原 佳行